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最高裁判所第三小法廷 昭和56年(行ツ)180号 判決

大阪府守口市日光町一七の三

上告人

田路直行

右訴訟代理人弁護士

宇賀神直

大阪市生野区勝山北五丁目二二番一四号

被上告人

生野税務署長 大工昭三郎

右指定代理人

山田雅夫

右当事者間の大阪高等裁判所昭和五四年(行コ)第五五号所得税更正処分取消請求事件について、同裁判所が昭和五六年八月四月言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告の申立があった。よって、当裁判所は次のとおり判決する。

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人宇賀神直の上告理由第二について

記録にあらわれた本件訴訟の経過に照らすと、所論被上告人の主張が信義則に反するものでなく、また、訴訟の完結を遅延させるものでもないとした原審の判断は是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、採用することができない。

その余の上告理由について

所論の点に関する原審の認定判断は、原判決挙示の証拠関係に照らし、正当として是認することができ、その過程に所論の違法はない。論旨は、ひっきょう、原審の専権に属する証拠の取捨判断、事実の認定を非難するか、又は原審の裁量に属する審理上の措置の不当をいうものにすぎず、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 長島敦 裁判官 伊藤正己 裁判官 木戸口久治 裁判官 安岡満彦)

(昭和五六年(行ツ)第一八〇号 上告人 田路直行)

上告代理人宇賀神直の上告理由

原判決には法令解釈適用の違背があり破棄されるべきである。

その法令違背は次のとおりである。

第一、原判決には審理不尽の違法がある。

一、原審は、上告人が昭和五六年一月二二日付で申請した証人渡辺三喜雄、松浦幸子、藤原忠次、林隆旨、山本博己と本人田路直行を採用せず弁論を終結した。これは尽すべき審理を尽さなかったものである。

二、それが審理不尽の違法であることを、第一審からの審理の経過内容を明らかにする。

1 本件の争点について

昭和四三、四四、四五年分の申告所得税に対する更正処分が違法であるか否かが争点であることは言うまでもないが具体的には右年分の所得税額はいくらかが争点である。

被上告人は、水洗便所工事について昭和四五年分の所得をもとにして四三、四四年分の各所得を推計している。

(イ) そこで、昭和四五年分の水洗便所工事の売上と所得が被上告人主張のとおりであるか否かが中心争点になる。

(ロ) 次に昭和四五年分だけのものとして、被上告人は上水道工事の売上が二、八三八、三三〇円あると主張し、上告人はこれを争っている。

2 第一審での被上告人の主張の変化と審理

(イ) 被上告人は初め、上告人の昭和四五年分の水洗便所工事の売上を記録した売上帳(乙第一五号証)には三六二件の記帳もれがあり、その売上分が過少申告のもとになっていると主張した。

(第一審での昭和五〇年三月三一日付第三準備書面)

その立証として、大阪市上下水道工事業協同組合の受付簿(乙第一六号証)を提出し、山下功の証人申請をした。

(ロ) これに対し上告人は、「現実の水洗便所工事については、条例の定める順序でやられるものではなく、まず工事に着工し、完成引渡した後に大阪市長宛に確認申請を提出し、竣工検査をおこなうものであり」右乙第一六号証に竣工検査年月日が昭和四五年になっていても、それでもってその工事が同年中に完成引渡したということはできない。

被上告人が指摘する三六二件の記帳もれというものは、その殆どが昭和四四年又は四三年に完成引渡をなしたものであり、乙第一五号証には記帳もれがないと反論した。

その立証として、甲第四号証の一ないし二四九を提出した。これは工事完了書であって、工事の完了、引渡を証明するものとして職人が作成し、上告人に提出するものである。この完了書には、その完了の年月日が記載されている。

(ハ) 以上までの審理は、昭和四九年二月一五日の第一回から同五一年八月六日の第一三回期日まで単独裁判官でおこなわれ、主張と立証準備が終ったとして合議体に移され、同一〇月五日に弁論の更新がなされ、同一二月七日に被告人申請の山下功証人の採用があり、翌五二年三月二日に証人尋問することになった。

(ニ) ところが、その三月二日の期日になって、被上告人は突如として山下功証人の撤回をし、又従来の主張を撤回し、新たな主張をする旨を述べ、乙第二二号証の一-三〇を提出した。

そして、次回同四月二七日の期日に被上告人は第七準備書面を提出した。その内容は、乙第一六号証による記帳もれ三六二件の主張を撤回し、乙第二二号証の一-三〇による記帳もれ三一三件を主張するものである。この乙第一二号証の一-三〇は、訴外松浦幸子が上告人作成の水洗便所工事注文書に対する各請求書をもとにして作成したものであり、その請求書の年月日が工事完了引渡の年月日であると被上告人は主張し、昭和四五年分のもので乙第一五号証に記帳された以外に三一三件あると言う。

(ホ) これに対し上告人は、その新たな主張は時機に遅れた主張であると却下を求めた。(昭和五三年六月一五日付第八回準備書面)

合せて、その主張の内容について具体的に反論した。(昭和五二年九月七日付第九回準備書面)その反論の要旨は次のとおりである。

所得税法第三六条により、当該年分の総収入はその年において収入すべきものとされ、物の引渡しを要する請負工事にかゝる収入金額は、その目的物を完成して注文者に引渡した日において計算すべきものである。本件においては、水洗便所工事の全部が完了し引渡した日が売上収入となる。

ところでこの業界においては、工事代金の請求は引渡をなした後におこなわれるのが一般的であり、一年以上もおくれることがある。従って乙第二二号証の一-三〇の請求書一覧表の請求書の年月日をもってして、工事完了引渡の日とすることはできない。そしてその記帳もれという三一三件が、昭和四三年四四年内に完了引渡したものであることを立証する書証を提出した。

即ち、甲第五号証の一-一六九の工事完了書、同第六号証の一-八の共同配水図、同第七号証の一-三七の大阪市下水道工事業協同組合の水洗便所工事申請受付簿である。これによって、三一三件のうち二五〇件が昭和四五年以外のものであることを具体的に裏づけた。

(ヘ) この新たな被上告人の主張の当否をめぐって証拠調がおこなわれ、証人松浦幸子(被上告人申請)、証人藤原忠次(上告人申請)と、上告人の尋問がおこなわれた。

(ト) 被上告人が主張する、昭和四五年に上水道工事の売上が二、八三八、三三〇円があるという主張に対して、上告人は、それは昭和四五年の工事ではなく、昭和四二年ごろからの水洗便所工事に含まれているものである。即ち、水洗便所工事に付帯して上水道工事がおこなわれるのであるが、その分についての名義料を支払ってほしいと渡辺工業所が言うので、昭和四二年ごろにさかのぼって一括で概算して、これくらいにしようとして乙第一七号証の請求書を作成したものであある。だから、この請求書に書いてある二、八三八、三三〇円は独立した上水道工事代金ではない。この四五年に、渡辺工業所の上水道工事をした事実はない。

3 第一審判決について

昭和四五年分の乙第一五号証の売上帳に記帳もれしたのが三一三件ある、と認定した。その証拠は乙第二二号証の一-三〇と松浦幸子証言である。そして、それをもとにして昭和四四年、四三年の所得の推計をしている。それは殆ど被上告人の主張のとおりである。

又、上水道工事代金二、八三八、三三〇円についても乙第一七号証と松浦幸子証言で被上告人主張のとおりの事実認定をしている。

三、原審における審理内容

1 上告人は第一審判決の事実認定の誤りを指摘した。(別紙昭和五五年一月二三日付第一回準備書面参照)

2 そして、新たに甲第九、一〇、一一、一九号証の大阪下水道局長の証明書を提出し、その証明書に乙第二二号証の一-三〇の請求書に記入してある年月日は昭和四五年であるが、工事が完了し引渡をなしたのは、四三年、四四年であることを指摘した。この下水道局長の証明書によっても、二五〇件の記帳もれといううち九二件は、四三年、四四年のものであることが明白になった。

そういうことになると乙第二二号証の一-三〇の年月日が四五年であるからといっても、工事の完了引渡が同年中であるとは限らないことが明らかになった。

3 二、八三八、三三〇円の上水道工事代金の件について、上告人は渡辺工業所の陳述書(甲第一八号証)を提出した。この陳述書は、上告人主張が正しいことを証明するものである。

4 右の争点をめぐって、上告人本人尋問がなされた。(昭和五五年五月九日、七月一八日の期日)これで一応主張、立証は終了し、最終準備書面を提出することになり、次回一〇月二六日に双方準備書面を提出した。

この準備書面について双方が反論があれば、再度準備書面を提出して終結の予定で、一一月五日の期日が指定されたが準備書面を出したのは上告人のみである。そこで、一二月一二日の期日が指定された。

5 この期日において被上告人は、第二回準備書面を提出し、予備的主張なるものを主張した。又乙第三五、三六号証(質問てん末書)を提出した。

この予備的主張は、第一審の当初に主張していた乙第一五証の売上帳の記帳もれの存在を大阪市上下水道工事業協同組合受付簿(乙第一六号証)で立証しようとするものである。

これに対し上告人は、右主張は時機に遅れるものであり、かつ訴訟の完結を遅延せしめるものであるとして却下を求めた。

更にその却下申立が容認されないならば、その点について上告人は更に立証する旨を述べ、昭和五六年一月二二日の期日に証人申請をなした。

この予備的主張の当否は、乙一六号証をもってして、昭和四五年の記帳もれを立証できるか否かにかかっている。

上告人の反論は、この乙第一六号証の受付簿の「竣工使用届出年月日」の欄に記入してある年月日は、「現実の竣工使用」と違う、ということである。

そこで果して、その違いがあるのか否かについて審理を尽さなければならない。上告人は第一審において、甲第四号証の一-二四九を提出し、記帳もれ三六二件の内二四〇件は昭和四三、四四年内に完成し引渡したものであると主張した。

しかし被上告人が、その主張を撤回したこともあって、その点の審理はそれで終了してしまったのである。

従って五五年一二月一二日の期日において、この第一審で撤回した主張を原審の終結段階で、予備的主張ということで持ち出してきたこと自体、被上告人の乙第二二号証の一-三〇による主張が説得力ないことを示すものであるが、そのことはさておいて、この予備的主張に対し原審としては上告人の反証を尽させなければならない。

上告人は、甲第四号証の一-二四九の工事完了書が、現実の工事完成と引渡を証明するものであることを明らかにするためそれを作成する職人の林隆旨、山本博己を証人申請した。(五六年一月二二日)

第一審において、上告人は松浦幸子の作成した乙第二二号証の一-三〇の請求書一覧表に対し、工事完了書(甲第五号証の一-一六九)を提出し、請求書の日付は四五年になっているが、この工事完了書によれば四五年ではなく四三、四四年である旨主張したが、第一審はこの甲第五号証の一-一六九の証明力には全くふれず、乙第二二号証の一-三〇でもって被上告人主張事実を認定した。このこともあるので、上告人としては予備的主張に対し甲第四号証の一-二四九の証明力を明らかにする必要があったし、原審はその証人を採用すべきである。

そうでなければ、著しく公平に反するし、上告人の立証の権利を侵害することになる。

6 又、四五年の売上収入とされている渡辺鉄工株式会社に対する上水道工事代金二、八三八、三三〇円について、それが同年中の工事であるか、それとも昭和四二年からの水洗便所工事に付帯した上水道工事の代金として、名義料を支払うためにさかのぼって概算で計算したものであるかが争点になる。

上告人は、甲第一八号証の渡辺三喜雄の証明書を提出した。これに対し被上告人は、終結段階になって右渡辺と松浦幸子に対する質問てんまつ書を乙第三五、三六号証として提出した。そこで、この一方的な質問てんまつ書の内容が正しいのか否かが吟味されなければならない。そのため上告人は、この渡辺と松浦を証人に申請した。(五六年一月二二日)

四五年内に右工事があったというのであれば、被上告人はその月日と工事個所、工事内容を立証しなければならないのに、乙第一七号証をもって十分とした。この書証について証言した松浦も、その工事が現実に存在したことを証言できないでいる。そうすると、甲第一八号証の右渡辺の証明書の証明力が問題になる。

被上告人は、その証明力を滅殺するため質問てんまつ書を出したのである。この質問てんまつ書をもってしても、四五年に二、八三八、三三〇円の工事の存在を立証できないが、甲一八号証の証明書が、上告人側から言われるまゝに記名捺印したかのごとき答弁をしている。

そこで、この渡辺、松浦の証人尋問をおこない、それを解明しなければならないのである。

尚、被上告人が右二、八三八、三三〇円の工事の存在を証明するものとして提出した乙第一七号証(請求書)は、上告人方の藤原忠次が作成したので、この藤原も同日付で証人申請をした。この証人も、その乙第一七号証に書いてあるように、四五年中に上水道工事をおこなったかを明らかにするものであり、審理を尽くす点からみると採用しなければならない。

尚、上告人本人の再尋問を申請したが、これは予備的主張に関するものと右乙第一七号証に関するものであり、少くとも予備的主張に関するもの(主として工事完了書について)について採用しなければならない。

7 原審は、前記上告人の申請した証人、本人全部を却下して終結してしまった。

四、原判決の内容と審理不尽

1 原判決は、被上告人の主たる請求としている乙第二二号証の一-三〇による記帳もれ件数については「その相当部分が昭和四五年中に完成引渡されたものと認定することができるのであるけれども、なお、右の中には、同年中に完成引渡されたものかどうかについて若干の疑念が残るものがある」と判示して、それを認容していない。

そして、予備的請求について本件訴訟を遅延せしめるものではないと判断したうえで、記帳もれが三五二件を下らないものと認定している。その認定の証拠として乙第一号証(大阪市下水道条例)乙第一六号証(大阪市下水道工事業協同組合の申請受付簿)乙第二三号証ないし同二七号証(質問てんまつ書)と、弁論の全主旨をあげている。しかし、その認定の根拠となったのは乙第一六号証であることは明らかである。

2 原判決は「大阪市下水道条例に基いて昭和四五年一月から一二月までの間に条例所定の確認調査と竣工検査のなされたものは前記乙第一五号証に記載されたもののほか昭和五五年一二月一二日付被上告人準備書面添付別表に記載のとおり三五二件を下らない」と認定したうえで、前記条例によれば水洗便所工事の完成引渡日はこの確認調査日と竣工検査日との間にあることが明らかであるから、昭和四五年中に完成引渡した工事は、乙第一五号証記帳のほか三五二件を下らないと判示している。

ところで、上告人は第一審以来、一貫して、条例の定める順序で工事申請確認などがおこなわれるものでないと主張している。即ち、現実には施主から工事依頼があると、まず、工事に着手しそれから確認申請書を提出し、竣工検査を行うことが多いのである。例えば、昭和四四年中に完成しているが翌四五年に入ってから確認申請書を提出することがある。本件の審理としては、この点の真相を究明しなければならないのである。そのためには、甲第四号証の一ないし二四九の工事完了書に記入してある年月日に工事が完了し、引渡がなされたものか否かを審理しなければならない。ところが、原審はそのための上告人の証人申請を却下した。これは、尽すべき審理を尽さなかったというべきである。

3 なお原判決は、原審における被上告人の昭和五五年一二月一二日付別表に記載された通り、記帳もれは三五二件を下らない、という別表は、第一審のおける被上告人の昭和五〇年三月三一日付準備書面添付別表と同じである。

ところでこの別表には「確認調査日」と「竣工検査日」の欄があり、それに年月日が記入してある。そこで、その記入した年月日の正確性が問題になる。

乙第一六号は、「竣工届出年月」の欄はあるが、「確認調査日」と「竣工検査年月日」の欄はない。従って、その年月日の記入はない。だから、乙第一六号証によっては、右準備書面別表の「確認調査日」「竣工検査日」の各欄に記入した年月日が真実であることを証明することはできない。

第一審で、被上告人は山下功が調査したものを備考欄に記入したと説明している。(第一審の昭和五一年一二月七日付証拠説明書)ところで、この山下が記入したものか否か、その調査の正確性が問題になる。そのため、被上告人はこの山下功の証人申請をなしたのである。ところがこの主張と証人申請を撤回してしまったのである。

原判決は前記準備書面別表の「確認調査日」と「竣工検査日」の欄に記入してある年月日が正確であることを前提にして論を進めているが、その前提自体がまだ解明されていないのである。なお被上告人は、乙第一六号証は成立に争いない、と原審で主張するが、それが提出されたのは昭和五一年七月九日であり、その時は大阪市下水道事業協同組合作成の文書として提出されたので、上告人は成立を認めたのである。ところが被上告人は、昭和五一年一二月七日付の証拠説明書で乙第一六号証の備考欄は、山下功が記入した、と説明するに至ったのである。

上告人は、次回五二年三月二日に右山下功の証人尋問が決められていたので、その反対尋問で右記入のことを問い質す予定にしていたので、その証拠説明書の点については言及しなかったのである。原審が乙第一六号証によって前記準備書面別表の記帳もれ件数を認定しようというのであれば、山下功の記入の正確性などを審理しなければならないのに、故意か不注意によるかして山下の証人尋問も促すことをしなかった。これも審理不尽の違法となる。

4 更に追記すると、原判決は甲第四号証の一-二四九を措信できないと判示しているが、被上告人がこの点に関する主張をした為、一審、原審における上告人本人尋問で、この甲第四号証の一-二四九の工事完了書について尋問をしていない。

従って、原審はこの予備的主張について、その当否を判断するのであれば、前記職人である林陸旨、山本博己と共に、上告人本人尋問申請を採用しなければならない。

これをしなかったのは、審理不尽である。

第二、民事訴訟法第一三九条に違反した違法がある。

一、被上告人は、原審の終結段階になって(昭和五五年一二月一二日)、一審で撤回したものを予備的主張とした。

これに対し上告人は、その次回期日である昭和五六年一月二二日にその予備的主張は時機に後れたものであり、訴訟の完結を遅延せしめるものであり、又信義則に反するものであるから却下されるべきと申立て、次回四月一六日にもその申立をなした。

これに対し原判決は、原審における上告人の甲第九号証一ないし六、同一〇、一一、一九号を提出したので、右予備的主張をしたものであり、時機に後れたものでないと判示した。

しかし、最終準備書面を提出した期日(昭和五五年九月二六日、同一一月五日)以後に予備的主張をしたものである。しかも主たる請求について一審以来審理してきての控訴審の最終段階での主張である。

一審で撤回した主張を控訴審の最終段階で提出することは時機に後れたものであるばかりか、訴訟追行上の信義則に著しく反するものである。

被上告人は上告人が乙第一六号証の協同組合の受付簿の「竣工使用届出年月」の記載事項を争っていながら、乙第二二号証の一-三〇に対し大阪市下水道局長の証明書(竣工検査年月日)をもって対抗してきたので、予備的に乙第一六号証に基づいて主張したものであり、信義則に反することはないと言い原判もその旨を判示している。

しかし、これは曲解か誤解である。

上告人は乙第一六号証に記載している竣工使用届出年月日の以前に工事が完了し引渡がすんでいることを主張し、その乙一六号証には竣工使用届出年月日が昭和四五年になっているけれども、現実には昭和四三、四四年に工事が完了し引渡がなされると反論し、その立証として甲第四証の一-二四九の工事完了書を提出したのである。

そして、被上告人が乙第二二号証の一-三〇の請求書の発行日付をもって工事は完了引渡がなされていると主張したので、この請求書の発行は工事の完了引渡の日から大巾に遅れているものであり、その日付をもって工事の完了引渡とすることはできないと反論し、大阪市下水道局長の証明書(甲第九の一-六、一〇、一一、一九号証)を提出したのである。この大阪市水道局長の証明書には「確認申請日」と「竣工検査日」の記載がある。この「確認申請日」より以前に工事が完了・引渡がなされているのが通常であり、すくなくても、この「竣工検査日」以前に工事は完了し引渡されている。

従って、乙第一六号証の「竣工使用届出年月日」の記載の正確性を争いながら、大阪市下水道局長の証明書を証拠に提出したことを理由に、予備的主張の提出を正当化することはできない。

二、又原判決は乙第一六号証は成立に争いがないので訴訟の完結を遅延せしめるものではない、という。しかし、上告人が乙第一六号証の成立を認めたのは前述の通り「大阪市下水道事業協同組合の作成文書」としてである。ところが、後日になって山下功が記入したものである、と証拠説明されている。これは上告人に虚偽のことを言って成立を認めさせたことになる。そのことについて上告人は、山下功の証人尋問に当って問い質す予定にしていたのである。

更に言うと、乙第一六号証の備考欄に山下が記載した日付は確認調査日、竣工検査日である、と証拠説明書は言うが、そのとおりであるか否かについては全く審理されていないのである。上告人は、この証拠説明書に書いてあることを認めたことはない。

そればかりか、条例で定める手続の順序と現実の手続が違うことを主張しているのである。

従って、乙第一六号証はそのままでは記録もれがあるか否かの証拠にはなり得ないのであり、前記記入をした山下の証人尋問を必要とするものである。

このように証人尋問を必要とする主張を控訴審の終結段階で主張することは、訴訟の完結を遅らせるものである。

第三、採証法則に違背する。

一、原判決は、乙第一号証、同第一六号証、同第二三号証ないし二七号証と弁論の全趣旨によって、被上告人の昭和五五年一二月一二日付準備書面添付別表記載の通り、昭和四五年の水洗便所工事について三五二件の記帳もれがある旨を認定した。

しかし、これらの証拠と弁論の全趣旨によっては、とうていこの認定の結論を導くことはできない。乙第一号証は、大阪市下水道条例であるが、これは本件についていうと、水洗便所工事の申請、確認、竣工、その検査などの手順を定めたものであり、直接の証拠にはならない。

乙第一六号証は、大阪市下水道工事業協同組合の水洗便所設備工事申請受付簿である。大阪市長に対する工事申請はこの協同組合を通じておこなうので、この受付簿で申請受付の状況を明らかにすることができる。

原判決は、「大阪市下水道条例に基づき昭和四五年一月から同年一二月までの間に同条例所定の確認調査と竣工検査のなされたものは、前記乙一五号証に記載されたもののほか、昭和五五年一二月一二日被控訴人準備書面添付別表に記載した通り三五二件を下らない事実を認めることができる」と判示している。

しかし、乙第一六号証によっては右判示の事実を認定することはできない。乙第一六号証には、「竣工使用届出年月日」の欄に協同組合が記入した年月日の記入があるが、備考欄には山下功が調査して判明した確認調査日の記入があると被上告人は主張する。

そこで問題になるのは、その主張のとおりその記入した年月日が確認調査日であることについては全く証拠がないのである。証拠に基づかない判断ということは、全く論理則、経験則を無視するものである。

二、原判決は「乙第一号証によれば、水洗便所工事の完成引渡日は、条例に基づき実施される確認調査日と竣工検査日との間にあることは明らかであるから、これに前記認定した事実を併せ考えると、控訴人が昭和四五年中に完成引渡した水洗便所工事は、乙一五号証に記載されたもののほか右の三五二件を下らないものと認めるのが相当である。」と判示している。こゝで問題になるのは、「条例によれば」ということであり、この条例どおりに実施されているか否かが検討されなければならないのである。

すべて条例の定めるとおりやられていないことは、工事代金の請求が完成、引渡の日から大巾に遅れていることの事実(本件主たる請求についての乙第二二号証の一-三〇に対する甲九、一〇、一一、一九号証による反証)からも十分うかがえるものである。

上告人の一審における供述の結果でも明らかな工事の着手完成のあとに確認調査、竣工検査がおこなわれているのである。従って、甲第四号証の一ないし二四九の工事完了書のもつ証明力は大きいものである。

この甲第四号証の一ないし二四九を採用しなかったのは、採証法則に違背するものである。

三、被上告人の原審における昭和五五年一二月一二日付準備書面添付別表の記載もれ工事の工事完了引渡の年月日は、甲第四号証の一ないし二四九によれば次のとおりである。

この番号は右別表の番号である。

〈省略〉

四、原判決は、昭和四五年に上水道工事代金二、八二八、三三〇円の収入を認定したことの誤りについてこの認定の根拠になっているのが乙一七号証、同一九号証である。

1 この乙第一七号証は、渡辺工業所から渡辺鉄工株式会社に対する水道関係売上額二、八三八、三三〇円の手数料一四一、九一六円と本社関係工事請求額三〇〇、〇〇〇円の請求書の形になっている。

この渡辺工業所というのは、上告人が同工業所の名前を借りていたので、上告人を指すのである。渡辺鉄工株式会社は、渡辺工業所代表者渡辺三喜雄の経営する会社である。

この請求書の記載からみると、第一に上告人が渡辺鉄工株式会社から代金二、八三八、三三〇円相当の水道工事をしてその代金請求をしたことになる。第二には、その二、八三八、三三〇円の五%の手数料が一四一、九一六円になることが分る。

2 この第一の二、八三八、三三〇円の工事を上告人が渡辺鉄工株式会立から現実に請負い、完成し引渡したか否かが問題になる。

被上告人は、上告人のこの点について明らかにするようとの求釈明に対し、全く明らかにすることができない。それができないのはそのような工事が現に存在しなかったからである。

乙第三五号証の松浦幸子に対する質問てん末書によっても松浦はその工事が存在したことを説明することができない。松浦の言うことは単に甲第一八号証に記載されている事実即ち、金二、八三八、三三〇円は昭和四一年四月から四五年一一月一〇日までの水洗便所工事に伴う給水管の入替工事にかゝる代金であることを確認する書類がないというだけである。事実そのとおりである。そのような書類はないのである。渡辺三喜雄から上告人に対し、今までの水洗便所工事の附帯工事代金の手数料を支払ってくれと話があったので、乙第一七号証に書いてあるように、金二、八三八、三三〇円に相当する工事があったことにして、その五%の手数料を支払うことにしたからである。

もし、昭和四五年中に金二、八三八、三三〇円の水道工事があったのであれば、その関係の書類が渡辺鉄工株式会社に存在し、松浦は知っており、そのことを大阪国税局員に説明するはずである。

同じことは、乙第三六号証の渡辺三喜雄の質問てん末書についても言える。渡辺は、甲第一八号証に書いてあることが本当か否か知らないが、署名してくれと言うので署名したというにすぎない。金二、八三八、三三〇円の水道工事の存在については全くふれていない。それが存在しないからふれることができないのである。

3 第二の点の名義料についてみると、この記載こそ上告人の主張を裏づけるものである。この名義料を出すために金二、八三八、三三〇円を書いたのである。

水道工事代金二、八三八、三三〇の請求書であれば、名義料のことを書く必要はないのである。

この乙第一八号証の本社関係工事請求額三〇〇、〇〇〇円は現実に存在したもので、その請求権があり、前記名義料一四一、九一六円を差引くと、渡辺鉄工株式会社は上告人に対し金一三八、八八四円の支払義務があるということである。

4 以上の事情からみると、上告人主張の事実こそ合理的であり、それを敢えて排斥したのは、論理則、経験則に著しく反するものである。

以上

(添付書類省略)

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